Tuesday, 6 March 2012

プラス?マックス?

キャメロン首相の独立問題をめぐる発言からほぼ2か月がたち、スコットランドの将来がどのような形になりうるのか、だいたいのオプションが見えてきました。サモンド首相およびSNPはスコットランドの独立を目指しています。キャメロン首相はじめ保守党、労働党、自由民主党(Lib-Dem)は独立に反対しています。

独立反対派には、スコットランドと連合王国の関係をどのように保つのかについて意見の違い、つまり現状をそのまま維持するのか、さらなる権限移譲を目指すのかについての違いがあります。伝統的に権限移譲を推し進めてきたのは労働党で、保守党は以前は権限移譲反対でしたが、キャメロン首相のスピーチに示されたように、ここにきて権限移譲に前向きな姿勢を示し始めました。とはいえ、反対派の中ではまだコンセンサスはとれていないようです。さらに、SNPもさらなる権限移譲については反対というわけではなく、独立をめぐる住民投票でさらなる権限移譲を問うことについて今のところはオープンな姿勢を保っています。現状維持でもなく独立でもない、独立反対派と賛成派の両方から支持を集めるさらなる権限移譲が、スコットランド独立問題の第三の選択肢として活発に議論されてきているのです。

・権限移譲のオプション

権限移譲をどのように推進するのかについては、スコットランドのシンクタンクなどが積極的に発言をしており、現状では「権限移譲プラス(devolution plus = devo-plus)」と「権限移譲マックス(maximum devolution = devo-max)」が提示されています。基本的には権限移譲とは、連合王国の枠組みを維持することを前提としたうえでの財政権限の問題であり、現状はどの程度、英政府がスコットランド政府に財政権限を拡大して与えるか、が焦点となっています。現状維持、権限移譲プラス、権限移譲マックス、スコットランド独立の財政権限を簡単に比較すると、以下のようになります。



・スコットランド法案

現在スコットランド政府は、財政関連の権限を全く持たず、歳入・歳出ともにロンドンの英政府に依存しています。また軍事・外交についても同様です。これは1997-9年に時の労働党政府主導でスコットランドに権限移譲がなされたときの取り決めで、現在も変わっていません。しかし権限移譲から10年たった2007年に、権限移譲の現状を検討するためにコールマン委員会と呼ばれる委員会が設置され、その報告をもとに2010年英政府が「スコットランド法案」を提出し、現在法案が英議会で審議されています。スコットランド法案は、基本的にはスコットランド政府の財政権限拡大を推進する方針で、所得税の半分と公債の発行権などを与えることが法案には盛り込まれています。

・権限移譲マックス

権限移譲マックスとは、昨年5月にスコットランド議会の選挙でSNPが大勝し、スコットランド独立を問う住民投票が現実味を帯びてきてから、メディアで使われるようになった言葉です。正確な時期はわからないのですが、だいたい2010年の10月くらいには広まっていたように記憶しています。スコットランド独立には反対でも、権限移譲には賛成する労働党や自由民主党周辺から出てきたオプションでした。言葉の通り権限移譲を最大限まで推し進めるもので、外交と軍事を除くすべての権限をスコットランド政府に与えるというものです。

・権限移譲プラス

権限移譲プラスは、権限移譲マックスと現状維持のほぼ中間に位置する考えで、スコットランドのシンクタンク「リフォーム・スコットランド」が中心になって推進してきているオプションです。このオプションでは、スコットランド政府は、所得税と法人税および北海油田の地理的シェア(約80-90%)など、スコットランド法案よりも多くの財政権限を与えられることになっています。権限移譲プラスはここ数週間で多くの支持を集めており、SNPも住民投票に権限移譲の問いを入れることになった場合には、権限移譲プラスを採用することに積極的です。

・権限移譲か独立か

現状、特にキャメロン首相の2月16日のスピーチ以降は、英政府がさらなる権限移譲にむけた交換条件を呈示したため、権限移譲がどのように行われるのか、にメディアの関心は集中しているようです。権限移譲プラス、マックスを含めて様々な議論が交わされてきており、このエントリでまとめたように、それぞれのオプションが具体的に提示されてきています。こうした権限移譲に対する関心の高まりの中、「スコットランド独立が何を意味するのか」の議論が後景に退いた観があります。

「独立後のスコットランドはどのような国になるのか?」という問いは、1月に独立をめぐる議論が本格化して以来、サモンド首相が具体的な説明を求められていた課題でした。サモンド首相とSNPは、独立反対派からの独立後の軍事や経済についての具体性を求めた追及に対して、やや押されていた観がありましたが、ここにきて議論の中心が権限移譲に移ったことで、風向きが変わってきています。この変化がサモンド首相に有利に働くのか、それともキャンベル首相の後押しをするのか、まだ判断を下すことは難しそうです。

Thursday, 1 March 2012

方向転換

前回のエントリからしばらく間が空いてしまいましたが、その間、2月16日にキャメロン英首相がエディンバラを訪問しました。英政府の方針として、キャメロン首相はスコットランド政府との交渉の席には直接つかないことが決定されていたため、キャメロン首相とサモンド首相は会談したものの、両者の間では独立をめぐる議論は行われませんでした。ただ、キャメロン首相は独立問題についてのスピーチを行い、それが大きな反響を呼びました。

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・キャメロン首相の「取引」

スピーチの骨子は、独立をめぐる投票でスコットランド人が独立反対を選んで連合王国に残った場合、英政府としてさらなる権限移譲(devolution)を考慮する、というものでした。これは、それ以前のキャメロン首相のスコットランド独立および権限移譲についての発言を考えると、非常に大きな変化と言えます。以前は、キャメロン首相はさらなる権限移譲、特にスコットランド政府が財政面で自律的になることに反対であり、そもそも独立をめぐる投票についても、英政府が主導権を握り、英政府が許可を与えてのみ投票を認める、という立場でした。これまでの強硬な反独立の姿勢を緩め、スコットランド人に対して一種の取引,つまり独立反対と引き換えにさらなる権限移譲を認める、という交換条件を提示したのです。

それだけではなく、このスピーチでキャメロン首相は独立後のスコットランドについて肯定的な見解を述べました。曰く、スコットランドは独立後も経済的に自立できるし、独立国としてやっていけるでしょう。ただし、スコットランドが連合王国から分離するのは非常に残念なことだし、そもそもスコットランドもイングランドも連合王国のままでいたほうがより豊かで力強い国でいられるのです、と論じました。これも非常に大きな変化と言えます。キャメロン首相はじめ独立反対派はこれまで、独立後のスコットランドは経済的に不安定になり、自立してやっていくことは不可能である、したがってスコットランドは独立するべきではない、という論を張っていたからです。さらなる権限移譲という交換条件の提示、そして独立スコットランドに対する肯定的な評価-どうやらキャメロン首相は強硬反対路線を捨て、懐柔路線に出たようです。

・"Where's the beef?"

これに対しサモンド首相は、もし提案が真摯なものなら、キャメロン首相は当然ながら「さらなる権限移譲」が何を意味するのか、ただちに明確にすべきである、と揶揄しました。美味しいお肉がありますよ、あなたのものですよ、と言っているのに、じっさいの肉は見せないままじゃないか、と皮肉って、サモンド首相は「で、肝心のお肉はどこに?」と発言したようです。じっさい現在英政府が提出中の「スコットランド法案(Scotland Bill)」(10年以上経過した権限移譲の現状を考慮し、スコットランド政府のもつ権限を調整するための法案。また解説します)においては、スコットランド政府の権限を若干ですが削減することが提案されているのです。

サモンド首相の揶揄はもっともですが、キャメロン首相のスピーチは、私の見たところでは、独立問題についての議論の方向性を変えたように思われます。メディアでの議論はこのスピーチ以来、独立か否かではなく、権限移譲がどのようになるのか、に移りつつあります。また、「なかなかいいスピーチだったじゃないか」とキャメロン首相の方針変換に好印象を持った人も少なくないようです。キャメロン首相のスコットランドでの不人気ぶりを考えると、これはたいへん大きな変化と言えるでしょう。

こうした中、権限移譲こそが最善の選択である、というキャンペーンを始めたスコットランドのシンク・タンクもあり、今後しばらくは、独立か否かではなく、権限移譲がどのように行われるのか、という方向に議論が進んでいくかもしれません。

Monday, 13 February 2012

一歩前進?

今日2月13日、エディンバラで、かねてから予定されていた、独立をめぐる住民投票についてのスコットランド-英政府間の会談が行われました。

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スコットランド政府からサモンド首相(左)、英政府からマイケル・ムーア大臣(右)が出席したこの会議は、1月にキャメロン英首相が独立問題論争の口火を切って以来、最初のトップレベルでの折衝で、前回のエントリでまとめた両政府の住民投票をめぐる立場の違いを解消することを狙いとしていました。

会談後、サモンド首相は「わずかながらも前進が見られた」と述べ、一定の評価を与えました。報道によると、選挙の時期と選挙委員会の役割という点では大まかな合意を得られた、とサモンド首相は考えているようです。いっぽう投票の年齢制限と投票の問いについてはいまだに意見の相違があるとサモンド首相は認めています。

面白いのは、サモンド首相の意見とは異なり、ムーア大臣は選挙の時期についてはまだ合意に達していないと述べている点です。ムーア大臣は英政府の主張どおり、投票時期を「遅くよりも早く(sooner rather than later)」考えており、サモンド首相の計画である2014年秋の住民投票実施には必ずしも賛成していません。このように早くも会談の結果の解釈に食い違いが生じており、双方の駆け引きの激しさを予想させます。どちらの側も、選挙開催の時期についてはメディアを利用して、既成事実的に世論を作り上げようという意図があるのではないかと思われます。

ひとつ明らかなことは、まだまだ両政府間の齟齬は非常に大きいため、今後もトップレベルでの折衝が必要になるだろうということです。交渉の中で、どちらがどの点で譲歩し、またどの点で主張を貫くのか、先が読めませんが、問題をすべて解決するのは簡単ではなさそうです。ちなみに今週木曜にサモンド首相とキャメロン首相の会談が予定されていましたが、会談はキャメロン首相の側からキャンセルされ、英政府は今後もムーア大臣をスコットランド担当大臣としてサモンド首相との折衝に当たらせるとの報道がありました。SNPは議題の重要さから考えて、ムーア大臣では不十分であると述べ、キャメロン首相との会談を要求しているということです。

Friday, 3 February 2012

Do you agree?

スコットランド政府が独立を問う住民投票に関する意見書を公表してから1週間が経ちました。先週予定されていたサモンド首相と、英政府のスコットランド担当大臣マイケル・ムーアの会見は、ムーア大臣が水疱瘡にかかってしまったため延期になりました。今週になりムーア大臣の病状が快復し、会見は13日にエディンバラで開かれることが決定しました。スコットランド政府と英政府の主張の食い違いはこれまでに見ましたが、確認しておくと以下のようになります。



これらの食い違いを一度の会見で解決に導くことは不可能に近く、交渉は長引くことが予想されますが、両者の政治的駆け引きの手腕に注目、といったところでしょうか。

・フェアな問い?

先週の意見書の公表から、各メディアでは意見書をめぐってさまざまな議論が両陣営から展開されましたが、主要な議論のひとつが、問いの文言をめぐってのものでした。前回見たように、スコットランド政府は住民投票の問いを「あなたはスコットランドが独立国となることに賛成しますか?(Do you agree that Scotland should be an independent country?)」としたわけですが、この問いについて、マーケティングや心理学の専門家は「フェアではない」「バイアスがかかっている」という主張をしました。

曰く、さまざまな調査において、「~に賛成しますか?(Do you agree ~)」という問いをすると、「~に賛成しませんか?(Don't you agree ~)」という問いをした場合に比べて、数パーセントの違いがでるとのこと。一般的にひとびとは肯定的、イエス、という答えを選びたくなる傾向があるため、問いの内容にかかわらず、肯定的なDo you agreeの場合のほうが、否定的なDon't you agreeに比べて支持を得やすいらしいのです。そのため、マーケティングや大規模な調査で正確な情報を得たい場合、「賛成ですか、反対ですか(Do you agree or disagree)という両論表記でいくことがふつうとされています。一方、SNPの議員や独立賛成派のメディアはこの問いは短く、明確で公平である、と述べています。

この問いが短く明確であることは一目瞭然ですが、私の個人的な感想としては、これはかなり念入りに作られているなぁと思いました。これは他にも問いの設定がありえたことを考えるとよくわかります。住民投票はスコットランド独立に関する問いなので、たとえば「あなたはスコットランドが連合王国から分離することに賛成しますか(Do you agree that Scotland should be separate from the United Kingdom?)」のような問いも不可能ではないわけです。しかしこのように独立を分離、あるいは連合王国解体とみる問いには、否定的な要素が少なからずあるため、支持が集まりにくいことが予想されます。

・分離か自立か

サモンド首相としては、独立の問いは連合王国に関係なく、スコットランドの問いであり、スコットランドが自立すること、スコットランド人が自分たちで自分たちの将来を決めることである、というポジティヴな問いを投げかけたいのでしょう。実際、サモンド首相は先週、「スコットランドの独立後も連合王国は維持されるでしょう」と述べ、それは独立後のスコットランドが連合王国の一部であり続けることか、と問われると、「政治的独立の話をしているのに、連合した王国(united kingdoms)の話をして、問題を混乱させるのはやめたほうがいいでしょうね」とはぐらかしました。他のインタヴューではスコットランド独立後も「社会的な合同(social union)は保たれます」と述べています。スコットランド独立を、連合王国からの分離、という風に解釈されたくないサモンド首相の意図が見え隠れします。

Friday, 27 January 2012

人物・用語解説

人物・用語解説を加えました。今後もいろいろと項目を加えていく予定です。

Wednesday, 25 January 2012

バーンズ・サパーの日に

ハギスとバーンズ
今日1月25日はスコットランドの国民的詩人ロバート・バーンズ(1759-1796)の誕生日です。スコットランドのみならずアメリカ、カナダ、オーストラリア等世界各地で、ハギスを食べ、バーンズの詩を読み、ウィスキーを飲み、Auld Lang Syne(蛍の光のもととなる歌です)を歌ってバーンズの誕生を祝います。バーンズ・サパーと呼ばれるお祝いです。バーンズはスコットランド人独特の心情と歴史的感性を、英語ではなく英語の一方言であるスコットランド語で簡潔かつ直截的に表した詩作で知られ、いまではその詩作はスコットランド文化の不可欠な要素となっています。日本で言う石川啄木や宮沢賢治にあたるでしょうか。夭逝し、後世の名声に対して生存中は比較的不遇だったことも似ていると言えます。1月25日は多くのスコットランド人にとって、バーンズの詩作を通じて、自国の文化を称え、スコットランド人であることの意味を確認する日とも言えるでしょう。

この重要な日に、アレックス・サモンド首相はスコットランド議会で、独立を問う住民投票に関する意見書を公開しました。


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Your Scotland, Your Referendum『あなたのスコットランド、あなたの住民投票』というタイトルの122ページからなるこの意見書(このサイトから見れます)は、今月上旬から一気に加熱してきたスコットランド独立問題をめぐる論争において、主導権を握ろうとするスコットランド国民党(SNP)の試みと解釈してよいでしょう。この意見書は、2014年秋にスコットランド政府が計画している住民投票の詳細について述べたもので、専門家だけではなく一般からの意見を踏まえた上で、内容を調整し、その後スコットランド政府が2013年初頭の作成を計画している住民投票法につながるものです。

意見書の重要な論点は以下になります。

  1. 住民投票は「あなたはスコットランドが独立国となることに賛成しますか?(Do you agree that Scotland should be an independent country?)」とする。
  2. 住民投票は2014年の秋に行う。
  3. 投票は通常のスコットランド議会選挙と同様に行うが、年齢の下限を16・17才に引き下げる。
  4. 投票は英議会の選挙委員会の監督のもとで行う。

意見書の内容のほとんどが、これまでサモンド首相およびSNPが述べてきたことで、特に「サプライズ」はありません。ただし、1の投票の問いについては、サモンド首相は簡潔な一問一答(独立に賛成か反対か)となることを優先するとしたものの、1の問い以外に、さらなる権限委譲についての問いを加えるかどうかについては結論は出しませんでした。ここはSNPの苦しいところで、世論調査の結果によると、現段階では独立賛成は約4割程度なので、独立達成が確実とは言えません。独立への支持が2014年秋までに増えない場合SNPの敗北となるので、そうなった場合に、SNPは独立ではなく、さらなる権限移譲(maximum devolution、あるいは略してdevo-maxと呼ばれています)というオプションも残しておきたいのだと言われています。

2と3については以前にサモンド首相が提案した通り。16・17才に投票権を与えるのは、スコットランドの未来を背負うのは若い世代であり、住民投票がその層を含むのは当然だというのが理由として述べられています。いっぽうで独立賛成は年齢が若くなるほど多くなるというデータがあるので、その点でSNPに有利という側面も見逃せません。また4については、これはSNPが英政府に譲歩をしたもので、以前はサモンド首相はスコットランド政府が任命する独自の住民投票用の選挙委員会による監督を主張していました。

一方、かねてから問題になっているスコットランド議会の住民投票開催に関する法的権限については、SNPが従来主張しているとおりで、スコットランド議会は独立を問う住民投票を行う法的権限を持つと主張しています。英政府はこれとまったく異なる主張をしており、住民投票は英議会の認可がない限り違法であると述べています。これについてはまた後日解説しますが、両者の齟齬は簡単に埋められそうもありません。

この意見書を踏まえ、サモンド首相は今週英政府のスコットランド担当大臣と会談する予定です。サモンド首相とキャメロン首相との会談も来週に予定されています。

Tuesday, 24 January 2012

2つの政府?(2) 連合王国と帝国


1707年にスコットランド議会はイングランド議会に吸収合併され、両国はKingdom of Great Britain、グレートブリテン王国として生まれ変わりました。しかしスコットランドの法、宗教、教育制度等はそのまま維持され、スコットランドは「半独立」とでも呼ぶべき状態になりました。1801年になるとグレートブリテン王国にアイルランド王国が加わりUnited Kingdom of Great Britain and Ireland、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国が誕生します。その後1922年にはアイルランドがベルファストを含む北アイルランドを除いてアイルランド自由国として独立し、1927年には連合王国はUnited Kingdom of Great Britain and Northern Irelandとなります。

このように連合王国は20世紀初頭に大きく変貌するわけですが、スコットランドと連合王国の関係はと言うと、基本的には1707年の合同から全く変わらず、スコットランドは連合王国内で「半独立」の状態を維持し続けました。スコットランドは議員をロンドンの議会に送り、連合王国の植民地と貿易を展開するなど、政治的にも経済的にも連合王国の一部として機能し続け、ある面では、イングランドとスコットランドはひとつの国として統合を強めていったと言えるでしょう。

・連合王国と帝国

1707年の合同当時、スコットランドは国家財政の危機に瀕していました。海外進出や国内産業振興の失敗などの要因があるのですが、ここでは省きましょう。最近の研究では合同直前の1690年代の状況は特に厳しく、イングランドとの合同が想像しうる唯一の解決策であったと論じられています。実際、合同条約では、スコットランドとイングランドの植民地との自由貿易が確約されました。合同後の18世紀後半になると、期待されていた経済的効果が顕著になり、18世紀末から19世紀前半まで、スコットランドは急速な経済発展と産業化を果たしました。なかでもスコットランド第二の都市グラスゴウは、大西洋に面したその利点を生かし、18世紀には北米植民地との貿易で急速に発展し、また19世紀にはいわゆる産業革命の中心地のひとつとして、綿工業をはじめ製鉄、造船、鉄道などの産業で経済発展をリードしました。

またこうした経済的恩恵を受けるだけではなく、スコットランド人は行政や軍事面でも積極的に連合王国とイギリス帝国の発展に寄与しました。スコットランドは多くの人材を軍隊に送り込み、特に勇猛さで知られるスコットランドの高地地方、ハイランドと呼ばれる地域の出身者からなるハイランド連隊は、イギリスの軍隊でもひときわ優秀な部隊として名を馳せ、数多くの海外・植民地戦争で重要な役割を果たしたとされています。たとえば映画『シン・レッド・ライン』の原題はThin Red Line、直訳すると「薄い赤の線」ですが、この言葉は軍事用語で、横に広がって薄くなった防衛線のことを指します。この表現は、1854年のクリミア戦争でロシア軍と対峙したハイランド連隊の姿に由来します。数に勝るロシア軍騎馬隊の突撃を4列の陣をひいて受け止めたハイランド連隊の勇猛さは語り草となり、表現として定着したのです。軍事以外でも、イギリス帝国の先駆者となったスコットランド人は数多くいました。探検家として有名なリヴィングストンや、明治日本の近代化に大きな貢献をしたトマス・グラバーもスコットランド出身です。

ロシア軍騎馬隊と対峙するハイランド連隊
トマス・グラバーと長崎のグラバー邸
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このように合同後のスコットランド人は、連合王国の発展に寄与し、イギリス帝国の臣民としてその拡大に貢献しました。その過程で、スコットランド人でありまたイギリス人(British)でもあるという二重の自己意識を育てていったことでしょう。またスコットランド人は時宜に応じて、「半独立」の国民としての立場をうまく活用していきました。時には独自の法、宗教、歴史を持つ「半独立」の国民として、イギリス連合王国内でイングランドとは異なる政策を求め、また時には連合王国と帝国の臣民、イギリス人として、イングランドとの対等な政策を求めました。この二重の自己意識は、国と国民意識の単位が一致するとされている現代の日本ではなかなか理解しづらいかもしれません。

・帝国の解体とヨーロッパ共同体

このスコットランド人の二重の自己意識は、第二次大戦終了に伴うイギリス帝国の解体と、ヨーロッパ共同体の誕生により大きく変化します。大戦後のアジア・アフリカ植民地諸国の独立によって、イギリス帝国はコモンウェルスあるいは英連邦と呼ばれる、より緩やかなつながりに基づく政体に生まれ変わりました。イギリス人は帝国を失う一方、ヨーロッパでは国家の単位を超える経済・軍事連合の枠組みが生まれ、のちのEU形成への長い道のりが始まりました。

スコットランド人から見ると、この状況はある意味で、自分たちの国民としての自己意識に再検討を迫るようなものであったでしょう。スコットランドは連合王国の一部として帝国の拡大に寄与し、その様々な恩恵を受けてきました。ある意味においては、帝国あっての連合王国、だったわけです。この前提が、帝国の解体に伴い意味を失い、また連合王国はヨーロッパ共同体の誕生に伴いその存在意義を変えつつありました。スコットランド人の意識が徐々に変わり始めたのがこの1960年代でした。1967年にはSNPの議員がイギリス議会に選出され、スコットランド独立と権限委譲が本格的に議論されるようになりました。

SNPは1970年代に躍進を遂げ、1979年3月の権限移譲の国民投票にこぎつけるのですが、その話はまた次回にしましょう。